読書感想文

読書感想文 「曼陀羅の人(まんだらのひと)」 陳舜臣(ちんしゅんしん)

空海

延暦23年(804年)、正規の遣唐使の留学僧として唐に渡る。

留学期間は20年の予定であったが、すべてを吸収して2年で帰国。

弘法大師(こうぼうだいし)。真言宗の開祖。中国より真言密教をもたらした。

805年5月、空海は、密教の第七祖である唐長安青龍寺の恵果(けいか)和尚を訪ね、以降約半年にわたって師事することになる。

恵果は空海が過酷な修行をすでに十分積んでいたことを初対面の際見抜いて、即座に密教の奥義伝授を開始し、空海は6月13日に大悲胎蔵の学法灌頂(かんじょう)、7月に金剛界の灌頂を受ける。


曼陀羅(まんだら):

 画面に諸仏を描いた図形や象徴的に表した記号を特定の形式で配置し,悟りの世界や仏の教えを示した図絵。

灌頂(かんじょう):

 頭頂(ずちょう)に水を灌(そそ)ぎ,その人物がある位に進んだことを証する儀式のこと。

阿闍梨(あじゃり):

 サンスクリット語アーチャーリヤcryaの音訳。軌範師(きはんし)と漢訳する。先生の意であるが、仏教では弟子を教え範となる師、高僧をいう。

 伝法灌頂(でんぽうかんじょう)を受けた僧をさす。日本では真言宗、天台宗の僧の職名。


感想

中国の密教の第七祖で恵果(けいか)が、本来なら自国の弟子に最高位を授けるところを外国人である日本の空海に実質的に授けたのは驚くべきことである。

もともと、密教はインドから中国に渡ってきたものである。そして空海が日本に持ち帰り、現在に至っている。

そしてさらに、大阿闍梨(だいあじゃり)が全てを空海に伝えたあとに、最後に伝えねばならないことが残っているとして、空海を恵果の生まれ故郷である村に行かせた。以下、そのくだりである。


空海:「お美しい」

    老女は笑った。のびやかな笑いであった。

老女:「大阿闍梨(だいあじゃり)が、あなたをここに寄越したのですね?」

    と彼女は訊いた。

空海:「はい。・・・・・・そうです。隣家の媼(おうな)を訪ねよと、そのようなことを申されました」

老女:「あなたは日本から留学に来られた僧ですね」

空海:「その通りでございます。法名を空海と申します」

老女:「大阿闍梨が、日本からきた僧に、すべてを、自分のもっているすべてを授けたいという話はきいています」

      ・

老女:「わたしを想うために出家したのです。そうするほかに、私を想うことがかなわなかったのです」

      ・

空海:「大阿闍梨が村を出てから・・・・」

     空海の質問が終わらないうちに老女は答えた。

老女:「いちども会っていません。四十年になります」


陳舜臣が、或いは真言密教が言いたかったのは、仏教が庶民の暮らしとかけ離れたところにあるのではなく、庶民の暮らしの中にあるということなのであろう。

読書感想文 「百里奚(ひゃくりけい)」 宮城谷昌光

百里奚(ひゃくりけい)は、中国春秋時代の秦の宰相。宮城谷昌光の「侠骨記(きょうこつき)」の中の小説である。

百里奚は、乞食のようになって、諸国を流浪していた。有能な人であったのだろう。今で言う就活をやっていたのである。就活と言ってもこの頃は公務員、政治家、軍人くらいしかなかった。

希望を持って斉へ来た百里奚であったが、士官先が見つからず、のち、斉で知り合った蹇叔(けんしゅく)のところで、暮らしていた。

タダ飯ぐらい同然だというのに、蹇叔は百里奚を疎むこともせずに、友人として接し続けていた。しかし、卑官に甘んじる百里奚と分かれる。

最悪の時には百里奚は奴隷になっていたが、秦の穆公(ぼくこう)はその賢を聞いて「ごこよう」の皮(五枚の牡羊の皮)で彼を買い取って臣とした。このため、百里奚は「ごこたいふ」とも呼ばれる。

長い苦労の末、ようやく買われたのである。そして、百里奚が宰相(現在の首相)になったとき、すでに90歳を越えていたものと思われる。

彼はかつて世話になった親友の蹇叔の登用を穆公に薦め、それを受けて穆公は蹇叔を秦へと招聘し、上大夫とした。恩に報いたのである。

宰相としては徳政を行い、周辺諸国を慰撫する政策をとった。これにより周辺の10カ国が秦に服属することを申し出た。紀元前600年あまり前に徳の政治が実現されていたのである。

自分の力を信じ、友情を忘れず、苦難を乗り越え、90歳にして宰相になり、そして徳の政治を行った。なんとすざまじい人生であろう。

ただし、百里奚について残っている資料が少なく、本当に実在したかという点も定かではないようだ。

読書感想文 「坂の上の雲」 司馬遼太郎

明治初期から日露戦争までの物語である。登場人物について感想を述べる。

秋山好古。秋山真之の兄。陸軍士官学校に学んだ。何のために生きるかの質問に任務を遂行すること以外に考えたことがないと答えた。

秋山真之。海軍兵学校に学んだ。誰にも負けないが兄の好古には頭が上がらない。「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」は秋山真之が書き加えたもの。

最初は、正岡子規とともに文学を志していただけに名文である。波が高いと船が傾き、強度が弱い海面下の船体が海上に表れ、そこに大砲を打つと効果があることまで伝えているという。

児玉源太郎。日露戦争において満州軍総参謀長を勤め、勝利に貢献した名将。内務大臣を職を辞してまで戦地に赴き、総参謀長を勤めた。

大山 巌。西郷隆盛の従兄弟。日露戦争では満州軍総司令官を務めた。戊申戦争、西南戦争、日清戦争、日露戦争を体験。仕事を任せ、失敗した時に責任をとるという人の使い方をする。

東郷平八郎。日露戦争の勝利に大きく貢献した。原宿の駅の近くに東郷神社がある。

乃木希典(のぎまれすけ)。陸軍大将。日露戦争ではたくさんの死傷者をだしてしまった。明治45年、天皇崩御により、妻静子とともに大喪の当日、自邸にて殉死を遂げた。乃木坂の駅の近くに乃木神社がある。

読書感想文 「竜馬がゆく」 司馬遼太郎

大政奉還後は要職には興味を示さず、船で世界の海を駆け巡ると言った所が素晴らしい。

インフォメーション

2015/06/07

陳舜臣の「曼陀羅の人」の読書感想文を書きました。

2014/10/15

宮城谷昌光の「百里奚(ひゃくりけい」の読書感想文を書きました。

2014/09/30

司馬遼太郎の「坂の上の雲」の読書感想文を書きました。

2014/07/21

「読書感想文」を記載していくことにしました!!

Copyright (C) まちかど樹木散歩/読書感想文. All Rights Reserved.